*青春ライン プロローグ1



男の人が泣くのを、初めて綺麗だって思った──。



夏のスタジアムで、わたしは高らかにトランペットを吹き鳴らした。
反響効果はほとんどないけれど、どこまで音を広げても気にならない開放感が、すごく心地いい。
指揮者のタクトに合わせて、馴染の音を響かせる。
頭から流れ落ちた汗が、頬を伝う。
パートが代わって、音を休めている間に、急いでそれをぬぐった。
容赦なく照りつける初夏の日差しが、じりじりと体に纏わり付く。
暑い。とにかく暑い…。
団長なんて長ランに、手袋、白鉢巻。
高らかに腕を伸ばして、声を張り上げてる。
頑張ってんな〜と、他人事のようにそれを見下ろした。

吹奏楽部に所属するわたしは、夏のスタジアムにいた。
野球部のスタンド応援。
この時期になると、毎年借り出される。
はっきり言って、野球部の試合なんてどーでもいい。
気持ちよく、トランペットが吹ければそれで。
試合の勝ち負けなんて、関係なかった。
もしこれが自由参加であったなら、間違いなくわたしは参加しなかっただろう。
早く終わってほしい。
暑いし、汗臭いし、日焼けはするし。
いいこことなんて、ちっともない。
遮るものがほとんどない開放感以外は、デメリットばかりだ。
ご愛用のトランペットくんも、夏の日差しに傷んでしまいそう。
わたしは、夏のこれが苦痛でしょうがなかった。



カーンと、硬質な音が耳を掠めて、どこまでも青い空へ白い打球が消えた。
「あ〜…っ」
ため息と共に、試合終了を告げるサイレンがスタジアムに響いて、夏が終わった。



「…ありがとうございまシたーーーッ!!」


ギャラリーとスタンド応援に頭を下げて、試合は終わった。
歓喜に沸いた相手チームと違って、うちの野球部は悲壮に打ちひしがれる。
特に三年生なんて、号泣。
泣くほどのことなの?男のクセに…。
たかだか、中学の地区予選。
名のある伝統校じゃあるまいし、準決勝まで勝ちあがれただけでも奇跡だ。







「おーい!そこのトランペットのヤツ。悪いけど、それ片しといて」


一度、学校まで戻ってミーティングを済ませてから、吹奏楽部も解散。
帰ろうとトランペットケースを持ち上げたタイミングで、運悪く部長に捕まってしまった。
理由は一番近くにいたから。
「…はーい」
文化部といえども、部活の上下関係は絶対。
用事を頼んだのが上級生ならば、それは断れない。
受け取ったダンボールは、今日の応援で使った野球帽。
野球部と同じデザインのものをみんなお揃いで被って、吹いてたわけだ。
これは、次の夏まで封印。
野球部の夏は終わったけれど、私達の夏はこれから。
八月の頭に吹奏楽のコンクールがある。
それに向けての練習が、明日から本格的に始動する。
ルパン三世のテーマや、狙い撃ちなんかの、定番応援ソングとは今日でおさらば。
野球部になんて、もう、付き合ってらんない。
「さっさと終わってくれて、よかったよ」
ため息混じりに悪態ついて、そのダンボールを準備室の奥深くしまった。







インドア派のわたしは、一日中炎天下にいるとどっと疲れる。
それは他の部員も同じだった。
ミーティングを済ませると、とっとと帰ってしまう。
自転車置き場には、もう、数台の自転車しか残っていなかった。
そのうちの赤い一台の前籠に、トランペットケースを放り込んで、わたしはペダルを漕ぎ出した。
…だるい。
おまけに、腕や頬が日焼けでひりひりする。
日焼け止めを塗っていても、あんな炎天下に長い間いたら、効果なんてゼロに等しい。
帰ったら、ソッコー応急手当しなきゃ。
そんなことばかり考えながら、グラウンドの横を通り抜けようとした。


ふと、人影を感じてペダルを漕ぐのをやめた。
どうして立ち止まってしまったのか、今でもわからない。
野球部は、とっくに解散したはずだった。
もう、残っているはずなんてないのに、グラウンドのど真ん中に人影を見つけた。
…何をしているんだろう。
初めは、ほんの少しの好奇心だった。
でも、足を止めてしまったら。
グラウンドに向かって、しゃんと背筋を伸ばして立っているその後姿が、視界に焼きついて離れなくなった。
薄汚れたユニフォームの背番号は『1』番。

…あの人、マウンドで投げていた人だ…。

自分が投げた試合で、負けてしまうというのはどういう気持ちがするのだろう。
やはり、責任を感じたりするのだろうか。
私はまだ、ソロパートを任されたことはないけれど。
もの凄く緊張するって、センパイが言っていた。
それがたった一小節、ワンフレーズでも。
一音一音に、全ての責任が覆いかぶさってくる。
見えないプレッシャー。
想像するだけでも、吐き気がしそうだ。
それをあの人は、一試合、ひとりで背負って立っていたんだ。
マウンドには逃げ場なんてないから…。

試合に負けて、みんなが男泣きする中、あのピッチャーは泣かなかった。
涙のひと粒さえ、零さなかった。
「頑張ったなー!」「今までありがとう!」って、笑って言ったんだ。
三年生の部員にとっては、夏の大会が最後。
負けた時点で、夏が終わる。
今日の試合は、彼らにとって引退試合となった。



1番のヒトは、マウンドをじっと見つめたまま、動こうとしなかった。
しゃんとした視線の向こうは、何を見つめているのだろう。



大きく肩で息を吸い込んで、それをゆっくりと吐き出した。
まるで存在を自分の中で確かめるように。
野球帽を脱いで、誰もいないグラウンドに深く深く、礼をした。

彼が体を折り曲げた時間なんて、ほんの数秒だった。
だけど、それがひどく長い時間に思えた。
その間、わたしは身動きひとつできなかった。


まるで何かの儀式のようだ──って思った。


わたしが嫌いな野球部の薄汚れたユニフォームも、汗臭いスパイクも、彼が抱えていたミットも。
全てが夕暮れ色に染まって綺麗に見えた。


一礼を済ませた1番のヒトは、もう一度帽子を被り直す。
深く深く被って、表情が見えなくなる。
一度だけ、ぐっと肘で顔をぬぐうのが見えた。




…ああ。あのヒト、泣いてたんだ…。



わたしは、それを全部見なかったことにして、またペダルを漕ぎ出した。
夏はこれからだというのに、何だか夏が終わってしまったような気がした。
寂しい孤独感が、じわじわと心に浸透していく。
なぜだか分からないけれど、涙がじわりと浮ぶ気がした。





真崎 奈津。
中学二年生。十四歳の初夏のできごと──。








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(青春ライン*ナツカゲ 1/END)


2007.11.13
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